「知られること」の認識論 4
社会学の分野においては、自我を「知るものとしての自我」と「知られるものとしての自我」とに区分して「他者に知られることの意味」についても一定の考察を行なったウィリアム・ジェームズの考秀を引き継いで、G・H・ミードが、これを他者の役割期待という観点から詳細に展開していることは周知のとおりです。
それはしかし、「知られることの意味」をそれ自体として問題にしているというよりも、すでに他者に知られていることを前提にして、その上で、集団においていかに適切円滑な人間関係を保持し、かつそれをいかに自我の形成に結びつけるかいう文脈で行なわれている議論です。
これに対してここでは、「他者に知られていることの意味」それ自体を人間の社会的存在条件の問題として考察しようとしています。
このように問題の限定をしたとしても、哲学者の問題意識の在り方なり、課題設定の仕方なりを商品経済の発達度に関連づけて捉えようとするアプローチに対しては、哲学サイドから異論や反発が出るところかと思われます。
そこでその点について一言ふれておきます。
まず第一に、今日の人間状況に従来とは違った大きな変化がみられるとすれば、その変化理由をどのように説明するか。
ここでは資本制商品経済の発展を第一の変化理由と考える立場に立っています。